本格ミステリの密室

「本格って何?」って尋ねられたら、「それは雰囲気さ」と答えるべし。

「すべてがFになる」
(森博嗣:作/講談社:刊)

 読んだ順番にならべようと思っていたのだけど、一番上に書いてしまった。そのくらいインパクトがあった作品。この作品と出会えただけで、たけうちの1997年は幸せだったといえる。
 森博嗣の犀川シリーズ第1弾(実際は4作目だったのだとか。第1作目にしておいて正解だったと思う)。なんだか、うまく言葉ではあらわせないけれど、斬新な作品(なんじゃそりゃ)。現代ならではの密室が好きだし、ドライな登場人物たちにも好感が持てる。
 ただし、他人に勧めようと思っても、折り返しの「内容紹介」があまりにつまらなそうなため、拒否されることもしばしば。


「8の殺人」
(我孫子武丸:作/講談社:刊)

 ミステリというジャンル、とりわけ新本格と呼ばれる作品を読むきっかけになった作品。この作品を読了したあと、しばらくミステリしか読まない期間が続いたような気がする。
 基本的に読みやすく、純粋に謎解きとしても読める。読み物としても、とても面白い内容になっている。3兄妹の「…の殺人」シリーズ第1段。


「探偵映画」
(我孫子武丸:作/講談社:刊)

 我孫子武丸の作品のなかで、好きな作品を一つだけあげろといわれたら、多分、この作品を選ぶだろう(単なる趣味なのだけれど)。
 探偵映画収録中に監督が失踪。エンディングにたどりつくために登場人物達が思案する、という構図がとても良い出来。楽しく読ませてもらった。


「十角館の殺人」
(綾辻行人:作/講談社:刊)

 綾辻行人のいわゆる「館」もの、の第1弾。綾辻作品のなかで一番面白いと思うんだけど…。
 2つの舞台を交互に進めていくことで、物語を進めていく。映像化がすごく難しそう。それだけにどうしても映像化して欲しいと思ってしまう。
 ちなみに、たけうちはこの作品を「犯人が誰だかわかったんだけれど、犯人は誰だかわからなかったんだ」と言って人に勧める(こともある)。


「狂骨の夢」
(京極夏彦:作/講談社:刊)

 「姑獲鳥…」、「魍魎…」に続く、京極夏彦の妖怪シリーズ(京極堂シリーズ?)第3段。関口氏の一人称がないからか、ちょっと番外編的な印象を受ける。
 娯楽読み物としても秀逸。叙述トリックという分野の優等生、といった感じかな。ラストシーンがとても好き。


「鉄鼠の檻」
(京極夏彦:作/講談社:刊)

 それまで友人の勧めで読んでいたため、京極作品は借りて読んでいたのだが、この作品は、友人の読了を待てずに買ってしまった(「狂骨の夢」が気に入ったからか?)。
 読了後、なんだか禅宗に詳しくなったような気がした。


「絡新婦の理」
(京極夏彦:作/講談社:刊)

 京極夏彦の妖怪シリーズの第5作で、いままでの作品の集大成といえる。これだけは、前4作すべてを読了してから読んで欲しい、と思う。


「塗仏の宴」
(京極夏彦:作/講談社:刊)

 分厚くて持ち運びに不便なノベルスという印象の強い、京極夏彦の京極堂シリーズ。巻を重ねるごとに厚くなっていくので、常々「上下巻だったらよかったのに」と思っていたのだが、今回は「宴の支度」、「宴の始末」という一種の上下巻となってしまった(「支度」と「始末」はストーリー的には続いているものの、全く違う形式になっているので、上下巻と表現してしまうのは誤りなのかもしれない)。しかし、片方だけで「狂骨」なみの厚さ。持運びに不便な点は相変わらずである。

塗仏の宴・宴の支度
 形式だけみると、いわゆる短編集である。それぞれ一編だけで作品として完結している短編が、全六編収録されている。そして、その短編と短編をつなぐ幕間が、その一冊をひとつのミステリとして成立させている。おそらくどこかで根を共有しているであろう別々の事件群。それらが、前作「絡新婦の理」よろしく今作までの登場人物たちに降り掛かってくる。しかし、その全貌を把握することがかなわない。そこがミステリ。
 さて、こんなに広がってしまった大風呂敷を一体どうやってまとめるつもりなのか、と次巻「宴の始末」を心配せずにはいられない。
塗仏の宴・宴の始末
 前巻「宴の支度」で広げてしまった大風呂敷にどう収拾をつけるか、が注目点となる解決編。基本的に京極堂シリーズの例に漏れず、「誰がどうやって殺したのか」などを問うミステリではなく、「一体、何が起きているのか」など事件の全体像を読者に明らかにしていく課程が重要なミステリなのだが、今回は事件の規模がいつにも増して大きい。結末しだいでは許さんぞと思いながら読んでいたのだが、それは杞憂。とても面白かった。それ以上はネタバレになるといけないので、ね。ここには書かない。

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