未来から来た個人的な話
#2

 現代人は、何らかの孤独感を常に背負って生きている。
 誰かにすがりたいとか、周囲に誰かついていて欲しいとか、そういった類の孤独感ではない。誰にすがりたくもないし、他人に頼らなくては生きていけないわけではないのだ。
 その孤独感は、もっと存在の根本的なところにある漠然とした感覚である。どちらかというと、人間という種そのものとしての孤独感に近い(「神の孤独」と表現した者がいたが、神という概念もよくわからないので、イマイチしっくりこない)。
 とにかく、人間はつねに孤独感と隣り合わせに生きているのだ。
 そして、孤独感を手放すことは、多分できない。その孤独感とともに、せっかく得た自由まで消えてしまうのだから。

 その孤独感を癒すもの、なのかどうかはわからないが、僕らには携帯が義務づけられている「物」がある(それを紹介するために、前提を話し始めたのだが思いの外、長話になってしまったね)。
 カタチは、そうだな…はるか昔に流行した携帯電子ペットなんかを思い出してもらえばいいかもしれない。すっぽり手のひらに納まるサイズで、中央に高解像度の小モニターが付いている。僕らは、それを「PP(パーソナル・パートナー)」と呼び、いかなるときでも身につけているようにしている。
 携帯が義務づけられている、とはいっても不携帯で罰せられることはない。しかし、僕らはPPを持ち続ける。

 モニターの中には、常に一人の人間の映像が映し出される。決してCGではない正真正銘、どこかに生活しているはずの人間の姿が、である。

 僕のPPにも、一人の女性の姿が表示されていた。
 大抵、PPに表示されるのは、持ち主と同じ年代の異性であることが多い。名前も知らない、どこに住んでいるかもわからないその女性。多分、この先も会うことのないであろう人物。僕は、彼女を物心ついたときから知っていた。
 PPに表示されている人物がどこに住んでいて、どんな人格であるか? そんなことには、誰も興味を持たない(知ったところで、どうとも思わないのだけれど)。僕らは、たまにふと淋しいと思ったとき(あるいは一日中)、PPを取り出して眺めるだけである。
 何故か、心が落ちつく。
 不思議なものだ。
 そうそう、万が一の話だが、PPの中のパートナーが犯罪を犯したとしても、誰も通報などはしない。それどころか、法律上、PP上でモニターされた行動に関しては、証拠として認められないことになっている。

 モニターの中の彼女を観察していると、たまにPPを取り出してモニターの中を見つめていることがある。きっとその中にも、僕らと同年代の人物が表示されているのだろう。
 ついでに言うなら僕も、誰かにモニターされているハズである。僕が生まれたときから、そして多分、僕が死ぬときまで、見つめ続けてくれる女性がこの世のどこかに存在するのだ。
 誰にも干渉されない孤独の世界の中で、僕らが一人ではないと実感させてくれるパートナー。それがPPなのだ。

 僕のパートナーの話をしよう。

 彼女は、どうやら比較的裕福な家の生まれで、特に不自由することもなく健康的に育ったようだった。
 通信教育ではない「本当の学校」に通い、友人関係にも恵まれていた。彼女は中学生の時、最初の恋をした。大昔のラブコメディのような微笑ましい恋愛だった。
 無茶なイタズラをして大ケガをしたときもあった。
 大学を卒業するまでに大きな失恋を2度、した。
 飼っていたポメラニアンが、事故で死んだ。
 彼女が初めて男性を知ったときも、彼女が結婚したときも、彼女が子供を出産したときも、僕はずっと彼女のことを見ていた。
 ある夜は、一晩中、PPに語りかけていた。
 「また会おう」と約束して別れた友人のうちの何人かには、結局、会えなかった。
 旅行で僕の住むエリアの近くを通りかかったこともあった。
 笑っているときも、泣いているときも、怒っているときもあった。
 平凡で、特にこれといって特徴のない人生だったと思う。

 そのパートナーが、今朝、この世を去った。
 老衰だった。
 彼女の死を察した途端、年老いた僕の頬をとめどない涙がつたった。
 それは、僕が生まれて初めて、他人のために(自分のために?)流した涙だった。
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