アンドロイドは電気少女の夢を見るか?
#1

 その日の仕事もかなりつらかった。通りの植え込みに腰をおろすと、僕は、デイバッグからもらったばかりの給与袋(なんてアナクロな響き!)を取り出した。日雇いのバイトは、給料はいいが体力的につらいものが多い。まあ、その分体力トレーニングになるんだけれど。
 高校を出てすぐに知り合いの劇団をたよりに上京して、はや3年がすぎた。役者としてそこそこの結果は出せているものの、フリーター生活も楽じゃない。
「あれ?」
 聞き覚えのある声に顔を上げると、知った顔があった。
「ん? ああ、キミは…」
 名前は知らないが、今日一日、同じ現場で働いていたヤツだ。テキパキと作業をこなす姿が何となく印象に残るヤツだったから、よく覚えていた。
 見た目の年齢は、僕と同じかちょっと下かといったところだろうか。どことなく幼げな印象のある青年だった。
 僕は、あわてて給与袋をバッグに入れると苦笑いを浮かべた。

「え、じゃあ君、アンドロイドだったのか」
 劇団行きつけの居酒屋で、僕は思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
 駅前で偶然会ってから何となく意気投合して、どちらともなく一緒に飲みにいこうという話になったのだ。
 彼の名前は、松山サトシ。僕と同じフリーアルバイターだという話だった。彼がアンドロイドなら、あの仕事っぷりもうなずける。
 アンドロイド──平たく云えば人造人間。基本的人権を兼ね揃えた人間である。もちろん、普通の人間(僕ら人類のこと。別にアンドロイドが普通の人間ではない、という意味ではない)と違うのは「人間の手によって造り出された」という一点につきる。普通の人間だって人間に造られたのだから、人造人間といえないこともないんだけれど、その点に関して言及する人はあまりいない。
 アンドロイドは、今でこそ珍しくなくなったものの、僕の故郷などの地方都市で見かけることはまずないと言っていい。建前上は差別問題もなくなったことになっているのだが、ムラ社会ではやはり彼らアンドロイドは奇異なものを見るような目で見られてしまいがちだからだ。
 不幸な過去において、彼らアンドロイドの先達は、僕ら人間から不当な扱いを受けてきた。単なる労働力として、奴隷のように扱われる時代もあったのだという。信じられない話だが、本当の話だ。
 知っての通り、現在ではそんなことはまったくない。人造人間に対する差別問題もほぼ世界中でなくなったといっていいし、宗教的な問題(果たして神以外の者が生命を創造しても良いのか、とかいう実にくだらない問題だ)もクリアされつつある。
 人間とアンドロイドのカップルだって珍しくない。現にうちの劇団の座長はアンドロイドの奥さんと仲良く暮らしているし、お子さんだってすくすく育ってきている。昔は、相手がアンドロイドだというだけで認められない恋愛があったらしい。もっとも、今ではそういう時代がかった悲恋は、映画やドラマの人気ジャンルのひとつとなっているのだけれど…。
 アンドロイドと人間とでは、老化のスピードや耐久力、運動能力に若干の差があるのだが、人間には人間の、彼らには彼らの長所があるのだという認識が一般的だ。
 もちろん、過去の差別の波が完全になくなったかというと、そうではない。極論者たちは、自分たち人間を「神造人間」と呼び、人間の手で造られたアンドロイドとは格が違うのだと主張するのだ(全く、バカじゃないだろうか)。
 閑話休題。
 ともかく、その夜は松山君と意気投合して、朝まで飲み続けたのだった。
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