未来から来た個人的な話
#1

 この手元にあるちっぽけな機械の話をするまえに、いくつか話しておかなければならないことがある。

 何から話したらいいのか。
 前時代的な価値観なんて、とうに記憶の彼方に置いてきてしまったものだから、いざ、昔の価値観に従って表現しようと思っても、なかなかできるものじゃない。
 とにかく、世界にあふれたのはプライバシーだった。
 プライバシーを守ること、これが僕らよりちょっと前の世代のオピニオンリーダーたちが徹底したことらしい。
 何者にも侵されることのない孤高。自分の自分たる源泉。ようやく、人類はそれを確固たる所有物にすることに成功したわけだ。

 今では、誰もが誰にも興味を持たない。
 こういう書き方をすると、古い時代の人には誤解されるらしい。しかし、それが一番しっくりくる表現なのだからしょうがない。
 例えば、僕らのまわりには様々な人がいるだろう。父や母や兄弟といった身内や、学校での教師、友人といった直接的な知人。それから、メディア上での著名人やネット上での友人といった間接的な知人。
 僕らは、これらの人々に関する様々な情報を持っている。個体差はあるけど、だいたいのところ出身地や、家族構成、好きな食べ物や好きな音楽などの嗜好、といった種類の情報がほとんど。それと、つきあっていく上で、僕が判断してつけ加えた二次的な情報(こいつが怒ってるときは近づかない方が良い、とかそういうヤツ)などもある。
 どれも、一緒に生活していく上で自然に得た知識であって、ムリヤリ仕入れたものではない。現在、知っている以上の知識が入れば受け入れるだろうけど、別に好き好んで詮索しようとも思わない。興味がないのだ。
 そんな情報を知らなくても人間関係に影響はないし、また、知ったところで関係に変化が生ずることもない(何を当たり前のことを書いているのだ、僕は…)。
 昔の人は、他人の個人的な情報に対して尋常じゃないほどの興味を覚えたらしい。その反面で、そういった情報を得ようとすることは悪だ、とも考えていたようだ(嘘のような話だし、確かめる術はないのだが、本当のことらしい)。
 だから、自分のプライバシーを守ることや、他人のプライバシーを暴くことに全力を尽くしたのだそうだ。
 やがて、プライバシーは保護されるようになり、他人のプライバシーを暴こうなんて、もってのほかだ、という風潮がトレンドとなった。
 そして、ジェネレーションが交代し、それが当たり前になった。その結果、皮肉なことに個人情報に誰も興味を持たない世の中になってしまった。
 それ故、聞かれればどんな個人情報でも公開してくれるはずだ。もちろん、前科、病歴などといったものも含めて(何故こういう補足をしたかというと、昔はこういうことが知られると、「差別」などの原因になったらしい、と聞いたから)である。
 ただ、誰も他人の情報に興味を持っていないので、普通は訪ねない。訪ねられた方は、他人に知られてもどうということはないので、包み隠さず答える。所詮は世間話レベルなのである。

 もちろん、差別はなくなった(というか、イマイチ、「差別」っていう単語の示すイメージが掴みづらいんだけどね。だから、もし認識が間違っていたらゴメン)。
 調べたところ、「個体どうしの何らかの情報(主なものは民族とか肌の色とかで、果ては性別とか病歴とか身内の犯罪歴とか)の差異に優劣をつけて、優れていると認定された方(あくまで主観的に)が、劣った方をおとしめる」という概念のことのようだ。
 でも、おかしな話だね。個体同士が違った情報を持っているのは至極当然のことだし、それによって人格が変化するわけでもないのに。
 そこで気がついた。古い世代の人類は、自分のパーソナリティに帰属しない部分で何者かよりも自己が優れていると認識し、また認識されていないと、同一性が保てなかったに違いない。その時点での人類は、まだ集合体として若かったのだろう。だから、差別排斥のための運動も、博愛主義的な切り口(誓ってギャグじゃない。彼らは本気だったのだ)で行われなければ、受け入れられなかったのだろう。  無駄が多くて笑える。なんとなく、古い世代に愛着感がわいてきた気がする。
 話題が少々それたみたいだ。結局のところ、現代の人類にとって、個人のパーソナリティこそが、最も侵されてはならないものであり、評価されるのもパーソナリティであるから、差別という概念は当然、存在しないのであるということ。概念として掴んでくれただろうか?

 こういうのをパラダイム・シフトと云うらしい。「らしい」と表現したのは、その言葉の意味を詳しく知らないからだ。
 とにかく、人々は鬱陶しいすべてのものから解放され、何からも干渉を受けないパーソナリティを手に入れた。
 断言しよう。人間は進化した。進化して、愛すべき隣人を失っても、ただ一人で生きていける至高の精神を得た。
 もう、人類は、手に入れた「自由」を手放すことはできない。だから、自由と一緒に手に入れた「孤独」を手放すことも、できなくなってしまったのだ。
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