−KOTの戯れ言−

 ここは「KOT的電子遊戯世界」が、NAC氏の「NAC'S WORLD」というサイトに間借りしていたときに、連載していた日記のようなものです。また、新規になにか書き起こすかも知れません。


1998

8/11 (火)

 「NAC'S WORLD」が店じまいをするということなので、間借りしていたこの「KOT's GAME WORLD」も引っ越すことになりました。NACさん、今までどうもありがとう。いろいろご迷惑をおかけしました。
 引っ越したところで内容が変化するわけではないので、今後ともよろしく…。ちなみに最近ハマっている家庭用ゲームは、プレイステーション版『私立ジャスティス学園』。アーケードからの移植ものに関しては、レビューコーナーに載せない方針だったのですが、これはすでに別ゲームなので、近々、レビューもアップします。


4/27 (月)

 SEGAのアーケードゲーム「電脳戦機バーチャロン」の新作「オラトリオ・タングラム」が稼働を開始してから約1ヶ月がすぎた。この1ヶ月の間、かなりやりこんだつもりである。最初の頃は、操作にも手間取っていたのだが、この頃は、クリアもできるようになったし、ようやくバーチャロイドを思ったとおり動かせるようになってきたといったところだ。
 SNKの2D格闘ゲームなどはひと月(カプコンなら3ヶ月)もやり込むと底が見えてくることが多いのだが、「オラトリオ・タングラム」に関してはまだまだ、プロローグも終わっていないという気がする、というのが現状だ。雑誌に展開しているパブリシティも、未だ基本操作などの発表にとどまっているのみで、各誌の独自の攻略などは、まだまだ先になりそうな気配である。
 それはともかく、昨日、2年間もやり込んだ前作「電脳戦機バーチャロン」を久しぶりにプレイする機会があった。同じく2年間やり込んだ友人らと、対戦してみた。
 感想は、「これって、こんなゲームだったっけ?」だ。何もできない。いや、僕らが何もできないのではなくて、「このゲームって、何にもできないじゃん」という感じ。行動の選択肢が狭すぎるというか、何というか。動きも何だかカクカクしているし、絵も小さくて迫力がない…気がした。
 すでに全然別物といった感じで、僕らはすぐにプレイするのをやめてしまった。確かに前作はいいゲームだった。でも僕らは、もう後戻りはできないところまで、来てしまったのだ。

 と、いうわけで、今回のテーマは「続編」である。

 こと「ゲーム」というジャンルの続編においても、いくつかのカテゴリに細分化されるのであるが、ここでは対戦格闘アクションゲームなどに代表されるアクションゲームをメインに続編というものを考えていきたい。
 続編を考えるとき、まず浮かぶのが前作に対するストーリー上での続編である、ということである。ロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームにおける続編などは大抵その通りであるし、対戦ゲームなどでも前作から何年後、などというストーリーがついていることが多い。もちろん、バックボーンを演出することは大事なのだが、今回、考察していく主題にとって、それほど重要な項目ではない。
 では、ゲームでは何をもって続編とするのか。最も重要なのは、ゲームシステム上での続編であるということである。続編という言葉とシステムという言葉は、まったく違う種類の言葉であるから、「システムの続編」という言葉は至極曖昧な概念になってしまうので、その辺りを明らかにすることが、今回の話題の重要事項である。
 ゲームシステムというものは、まず「このゲームは何を楽しむためのものか」という理念に基づいて成立するものである。もちろん、その時点での技術力を考慮した上での可不可や、互いに食いあう複数の要素を選択をしていくことで、幾つかの要素は切り捨てられ、シェイプされたシステムが構築されていく。取捨選択や改良は永遠に続くものではなく、商品として稼働することを考慮に入れるのでそのシステムは、いつか「完成」し、ひとつのゲームとなる。
 だから、その完成したシステムに改良を加えたり、新要素を付加したりすることで、バージョンアップさせても、ここでいう「続編」という定義には、あてはまらない。単なる改良版である。もちろん、システムを改良したものに、新たなストーリーを付加して「続編」としているゲームも幾つかあるが、ここでは対象外とする。
 ゲームにおける「続編」というものは、前作のシステムを作り上げたのと同じ理念に基づいて再構築させていった結果、できあがったシステムである必要がある。ただし、理念は踏襲する必要があるが、前システムを踏襲する必要はない。
 むしろ、続編といえども違うものである以上、何らかの転換が必要になってくるというべきだろう。続編を名乗るからには、全くのゼロの状態から前作が生まれたのと同じくらいのインパクトを、前作に付加する必要があるのだ。

 ここまで考えて、思考が停止した。あまり突き詰めすぎると、実際、そういった「続編」は数少ないということにたどり着いてしまうからだ。
 ただ、そうあってほしい、とは思うし、そうあるべきだとも思う。


2/11 (水)

休日を安穏と過ごす。
 気付いてみれば、今年最初の戯言。この2ヶ月間に買ったゲームは『グランツーリスモ』『街』。「街」は役者さんが楽しそうで良かった(内容に関してはレビューを参照のこと)。その他に、特筆すべきゲームはというと…『アタック25』かな。

 それはともかく、今日は、エンタテイメントファンの話。たとえば演劇。多分、他のジャンルでも同じことはいえると思うが、よく見るジャンルだし、関わることも多いんで、とりあえず演劇にスポットをあててみる。では、あらためて…たとえば演劇。
 他のジャンルもそうだが、とりわけ演劇は、笑わせてなんぼ、泣かせてなんぼの世界である。…と、思う。何しろ、客がこなければ成り立たない。いや、収支の話ではなくて、客がいないことには舞台が成り立たない、ということ。
 そこで問題なのは固定客である。言い方をかえればリピーター、あるいは固定ファン。どんなジャンルにおいても、ある種、固定ファンをゲットするのは最初の目的になる、といってしまっても過言じゃない。過言かもしれないけど、過言ではないとしておく。
 固定ファンというのは、次回公演にも(無条件で?)来てくれる劇団にとってみれば、ありがたいお客さんである。では、何故、問題なのか?
 ヤツらは笑うのである。いや、笑いすぎるのである。
 お気にいりの役者が、ちょっと軽いギャグを入れただけで笑う。とりわけ面白いシーンでなくても、とりあえず笑う。拍手しながら笑う。拍手で次のセリフが聞こえなくなっても、とりあえず拍手。何がそんなにおかしいのか知らないけど笑う。ムカつくほど、笑う。きっと、「○○さん(役者名+さん付け、別に知り合いではない)やってくれたよ」とか思いながら笑っている。ここは泣くシーンだろ、という場所でも笑っている。もちろん、最高に面白いシーンでも笑っている。ひょっとしたら、普段の生活で笑いに飢えてるのかも…知れない。
 ステージに立っている方は、行動に関するレスポンスがあれば、それなりに嬉しいはずである。しかし、何をやっても笑う、というのは別である。そんな笑いは内輪ウケの一種にすぎないのだ。
 でも、演出するものも役を演じるものも、客席からのリアルタイムのレスポンスとアンケート用紙などが「何がウケる、ウケない」を判断する重要なアンテナになることは間違いない。しかし、演じる方より見る方が、笑いのセンスが悪いのでは話にならない。自分の笑いが、舞台上の人間のセンスを狂わせることになりかねない。
 とりわけ演劇なんかはライヴ感覚が強いので、客も役者と一体化しているような錯覚を受けやすい。でも、内輪ギャグを期待して見にいくのも馬鹿げた話である。
 ちょっと大きくなり始めた劇団の公演を見にいくと、それなりに固定ファンがついているものだから、始末におえない。小さな(これからの)劇団だと、自分がその固定層になってしまう可能性もある。
 固定ファンのために公演をうっているわけではないが、固定ファンがいないと興業として成立しない。常にこういうジレンマに、エンターティナーは悩まされている…のかもしれない。ある程度固定ファンがついて、世間も注目してくるようになったら、今までの固定層をバッサリ切って、新たな層(それでいて、より多い層)を獲得していくのが正しいやり方なのだろうけど、世界中が固定客になってしまったら…そのときはやめるしかないのだろう。
 …なんて言ってみても、ギャグというのは、しょせん共通言語の上に成り立つものだから、広い意味ではどんなギャグでも内輪ネタにすぎないんだけどね…。ちょっとした、考察でした。


1997

12/23 (火)

 祝日。池袋のナンジャタウンに行く。前にも書いたが、クリスマス前はどこのテーマパークもサービスが過剰気味なので、とても行きガイがある。クリスマスのナンジャタウンには『雪』が降るのだ。これには驚き。楽しませてもらった。ナムコのテーマパークは、「人を楽しませる」という点において完成度が非常に高い。特に、ナンジャタウンはその辺りが徹底しているのだと思う。今日は、『グランツーリスモ』が発売の日だが、給料が出るまでガマン。


12/21 (日)

 『ドロンズ』のヒッチハイクもそろそろ大ヅメになってきたなぁ(土日のバラエティ番組だけは見ているたけうちだった)。
 昨日、あるクリエイターが死んだのだそうだ。ムカついて声も出ない。


12/17 (水)

 昨日、テレビ東京「ポケットモンスター」を見ていた一部の子供たちが倒れたらしい。原因は、テレビからの光の刺激によるもの、ということだ。
 テレビ東京に過失があったかどうかはともかく、テレビ局側がそれなりの誠意を被害者(?)に見せなければならなくなるのは当然のこととしても、その後の展開が気になる。
 「便乗批判」とか、「いわれのない中傷」とか、「話題のすりかえ」とか、「事態を良く理解していない者が、それでもわからないなりの批判(なんだそれ?)をかます」とか、まあ懸念どおりになるのは明らかだろう。(事実、そうなったしね。なんで、世の中の流れを知らない者が、ニュース番組をやっているのかは謎。笑えた)
 もっと、頭良くなろうぜ。とか思うのだが、たけうちはテレビに依存する生活をしていないのであまりツッコメないし、テレビという媒体について語る気もない。とりあえず、意味のない番組打ち切りなどは、避けてほしいとは思う。


12/15 (月)

ついに、ここ、「NAC'S WORLD」が復活。すごいぞ、なっくるさん。
 というわけで、この戯れ言のカタマリも日の目を見ることになったのだ。僕のホームページの日記とあわせて読むと、わかりやすいかも?


12/13 (土)

買おうかどうか迷っていたが、結局、プレイステーション用の『機動戦士Zガンダム』を購入してしまう。完全にファンアイテムのつもりで購入したので、特にレビューする必要はないだろう。造形とムービーは豪華。


12/5 (金)

 NAC氏の依頼で、こういうページを作っているせいか、最近、HTMLに興味を持ち始めている。ツールを使わずにテキストで素で打ち込むと結構、面倒だけど、小学生のころ(MZ-700とか使ってました)のBASICでプログラムを自作していたころを思い出してなんか楽しい。
 というわけで、無料ホームページを提供している[ジオシティーズ]に住むことに急遽、決定。近々、このページとは違った赴きのホームページを作ろうと画策中。そしたらこのページともリンクしてもらおう、とか勝手に考えている(すでにこのページがアップするころにはできあがっているかも?)。


12/4 (木)

 プレイステーションの3Dロボットゲームの名作「ARMORD CORE」の続編、「PROJECT PHANTASMA」が発売された。前作を死ぬほどやりこんだたけうちは、有無を言わさず即買い。出社前にちょっとだけ、プレイ。やっぱりいい。
 「ARMORD CORE」は、ロボットものの中でも、とっかかりやすさや操作性などにおいて、ユーザーライクな仕様にできあがっている。いわゆる[その手の人]には、とてもウケたゲームだった。しかし、総販売本数では多分、そんなにふるっていない。何故か? 今日は、その辺に焦点をあてて、「ロボットもの」というジャンルについて、考察してみる。
 ここでいう「ロボットもの」とは、3D(とは限らないかも)であたかも自分がそのロボットは操縦しているかのように振る舞えるアクションゲーム、のこととする(「スーパーロボット大戦」などのゲームは含まないことにするってこと)。
 ロボットものの売れない理由はただひとつ。それがロボットものだから、である。つまり、そのゲームの最大の特徴であり、最大のウリである部分が、このジャンルの最大の短所なのである。なにしろ、思っているよりも市場が狭く、敷居が高く、どんなに易しくしても一定レベル以上の操作性(キーアサイン)になってしまう。ウォー・シミュレーション系ならともかく、アクションゲームとしてのロボットものの需要は、おのずと低くなる。これは、今後のロボットものを考える上でも重要な課題だといえる。
 実は「ARMORD CORE」は、その高い敷居さえ乗り越えてしまえば、そんなに難しいゲームじゃない。ロボットは好きなように組めるし、色だって変えられる。自作のエンブレムも貼れるし、ロボットに名前もつけられる。操作も慣れれば特に難しく感じないし、何しろ自由にキーコンフィグできる(こういう部分って簡単に作れそうな気もするが、なかなか実現してくれるメーカーは少ない)。
 実際、彼女や後輩の女の子にプレイさせてみたら、最初は少々とまどったものの、結局は最終ミッションまで行ってしまった。彼女に頼まれて、ピカチュウのオリジナルエンブレム(大変だった)を作らされる始末である。
 もっとも、3Dゲームが多くなるにつれてこういったゲームも徐々に増えてきている。ロボットものが栄華を誇る日も近い…のかなぁ?
 あれ、考察とか言っておきながら、ソフトレビューっぽくなってしまった。まあいいや。

 あと、年末ジャンボ宝くじを購入。一等が当たる予定。夜は、知り合いが役者をやっている劇団の公演を見るために新宿パンプルムス(旧タイニィアリス)に。夜中は、旗の台のスカイラークで2時過ぎまで。後輩のおがまや女史に、TSUTAYAカードをつくらされる。


12/3 (水)

 今年はナムコのレースゲームがない年なんだなぁ、と感じた。なぜって、だって、ねぇ。
 比較的早く出社すると、同僚が「今日、きたのさんたちが遊びに来るって」。
 「きたのさん」とは、もちろん、イラストレーターのきたのじゅんこさん(我が社のVIP)のことである。まえまえから、ウチの事務所に遊びに来たい、と言っていたらしい。たけうちが、きたのさんに会うのは先日のライヴも含めて、これで2回目。
 今度、会うときはサインをもらおう。


11/29 (土)

 雨。アトレ恵比寿(駅ビル)でクリスマスグッズ各種をウィンドウショッピング。その後、ガーデンプレイスにて、クリスマスツリーのイルミネーションに、少々感動。クリスマス前は、どこもかしこも過剰サービス気味になるのがとても好きだ。今年のはやりは、クリスマスカラーに青がプラスされてるところかな? 関係ないけど、関西では「マックシェイク」のことを「マクドシェイク」というのだろうかとか、どうでもいいことを考えた。
 夜中に「ストリートファイターコレクション」をプレイしていたら、急に「ストリートファイターEXplusα」が欲しくなったので、近所のセブンイレブンで衝動的に購入。なかなか、笑えるが、彼女のウケはあまりよくない。


11/28(金)

 これから、ゲーム関連の事柄を中心に、戯れ言などを日記形式で不定期に続けていこうと思う。全体的なテーマとしては、「エンターテイメント」という言葉でくくれたらいいな、なんて思っている。
 今日は、夕方から渋谷Egg-manに、ライヴを観に(聴きに?)行ってきた。
 インディーズのkirche(キルシェ)というユニットで、現在、うちの会社で開発作業中のWin95用RPG『スターリィ・ローム』(略称は『スタローン』)のオープニングと、スタッフロールに曲を提供してくれた方たちである。対バンありだったので、いつもとは違って短めだったが、たのしい時間を過ごすことができた(後輩の演劇公演のチラシも折り込みさせてもらったし)。
 ちなみに、同じく『スターリィ・ローム』のパッケージなどにイラスト(いやもうホントに素晴らしい、ファンタジックなイラストを)を提供してくれた、イラストレーターのきたのじゅんこさんもライヴ会場に来ていた。
 こういうクリエイターの方々は、(ゲーム開発という場にはあまり関係がないのかも知れないけど)ゲームという商品の大きな「顔」となるのである。そしてそれらのしめるウエイトは、かなり大きい。ゲームには、そういう関わり方もあるということを再確認。


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