その日の仕事もかなりつらかった。通りの植え込みに腰をおろすと、僕は、デイバッグからもらったばかりの給与袋(なんてアナクロな響き!)を取り出した。日雇いのバイトは、給料はいいが体力的につらいものが多い。まあ、その分体力トレーニングになるんだけれど。
高校を出てすぐに知り合いの劇団をたよりに上京して、はや3年がすぎた。役者としてそこそこの結果は出せているものの、フリーター生活も楽じゃない。
「あれ?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、知った顔があった。
「ん? ああ、キミは…」
名前は知らないが、今日一日、同じ現場で働いていたヤツだ。テキパキと作業をこなす姿が何となく印象に残るヤツだったから、よく覚えていた。
見た目の年齢は、僕と同じかちょっと下かといったところだろうか。どことなく幼げな印象のある青年だった。
僕は、あわてて給与袋をバッグに入れると苦笑いを浮かべた。
「え、じゃあ君、アンドロイドだったのか」
劇団行きつけの居酒屋で、僕は思わずすっとんきょうな声をあげてしまった。
駅前で偶然会ってから何となく意気投合して、どちらともなく一緒に飲みにいこうという話になったのだ。
彼の名前は、松山サトシ。僕と同じフリーアルバイターだという話だった。彼がアンドロイドなら、あの仕事っぷりもうなずける。
アンドロイド−−平たく云えば人造人間。基本的人権を兼ね揃えた人間である。もちろん、普通の人間(僕ら人類のこと。別にアンドロイドが普通の人間ではない、という意味ではない)と違うのは「人間の手によって造り出された」という一点につきる。普通の人間だって人間に造られたのだから、人造人間といえないこともないんだけれど、その点に関して言及する人はあまりいない。
アンドロイドは、今でこそ珍しくなくなったものの、僕の故郷などの地方都市で見かけることはまずないと言っていい。建前上は差別問題もなくなったことになっているのだが、ムラ社会ではやはり彼らアンドロイドは奇異なものを見るような目で見られてしまいがちだからだ。
不幸な過去において、彼らアンドロイドの先達は、僕ら人間から不当な扱いを受けてきた。単なる労働力として、奴隷のように扱われる時代もあったのだという。信じられない話だが、本当の話だ。
知っての通り、現在ではそんなことはまったくない。人造人間に対する差別問題もほぼ世界中でなくなったといっていいし、宗教的な問題(果たして神以外の者が生命を創造しても良いのか、とかいう実にくだらない問題だ)もクリアされつつある。
人間とアンドロイドのカップルだって珍しくない。現にうちの劇団の座長はアンドロイドの奥さんと仲良く暮らしているし、お子さんだってすくすく育ってきている。昔は、相手がアンドロイドだというだけで認められない恋愛があったらしい。もっとも、今ではそういう時代がかった悲恋は、映画やドラマの人気ジャンルのひとつとなっているのだけれど…。
アンドロイドと人間とでは、老化のスピードや耐久力、運動能力に若干の差があるのだが、人間には人間の、彼らには彼らの長所があるのだという認識が一般的だ。
もちろん、過去の差別の波が完全になくなったかというと、そうではない。極論者たちは、自分たち人間を「神造人間」と呼び、人間の手で造られたアンドロイドとは格が違うのだと主張するのだ(全く、バカじゃないだろうか)。
閑話休題。
ともかく、その夜は松山君と意気投合して、朝まで飲み続けたのだった。
それから、僕たちはちょくちょく会っては一緒に遊びにいく仲になった。
同じ日雇いの仕事をこなしたり、彼が劇団の稽古場まで見学に来てくれたりした日には、たいてい僕のアパートで語り明かした。
こんなに他人とわかりあえるなんて、今までになかったし、思ってもみなかった。
長い長い歴史の果てで、ついに人類は、最高の友人を得たのだ。
「好きなコがいるんだ」
松山君は唐突に告白した。相当酔いがまわっていたせいかもしれないし、僕がしつこく聞いたせいかもしれない。
「へへへ、ようやく白状したね。どんな娘なんだよ。俺も知ってるヤツ?」
口調が下世話な感じになってしまった。僕も相当酔っているらしい。
だが、松本君はそれ以上は話そうとはしなかった。
何故、と問いただすと、彼は一言「君に嫌われたくないから」と告げた。
一瞬、「好きなコ」っていうのは僕のことだったのか、なんて違う方向に考えがいってしまったが、それはないと思いなおした。
アンドロイドには、(信じられないことだが!)基本的にゲイもレスビアンもいない。理由はわからないが、人間とは根本的に違うのだろう。生れつきゲイやレスビアンとして製造されるアンドロイドの例も過去にはあったらしいのだが、いまはそういった「加工」は非道徳的だとされている。
ちなみに、一応断っておくが、僕もゲイではない。
僕がしつこく質問をくり返すと、彼は観念したのかようやく堅い口を開いた。
「その娘、アンドロイドなんだ…」
彼は照れながらも、相手のアンドロイドがいかに清純で、可愛らしいかをせつせつと語り始めた。
僕は仰天した。
アンドロイドがアンドロイドを好きになるなんて、そんな非道徳的な話はない。そもそも、アンドロイド同志の婚姻どころか恋愛すら法律で認められていないのだ。
僕は取り乱し、彼をその馬鹿げた妄想から開放するため、説得をくり返した。しかし、彼は僕の言うことに耳を貸そうとはしなかった。むしろ、僕に告白したことにたいして、激しい後悔の念を抱いているようだった。
僕は説得を続けた。
母の胎内から生まれるのが人間で、人間の手により製造されるのがアンドロイドである。ならば、もし、アンドロイドとアンドロイドがセックスをして子をなしたのなら、その子供は人間なのかアンドロイドなのか? 答えはもちろん、人間である。
人間の力も借りずに、アンドロイドだけで人間を造るなんてことがあっていい道理はない。そもそも、アンドロイド同志の恋愛なんて野蛮な行為が許されるとでも思っているのか。これは、人間に対する冒とくだ。いわば反逆なのだ。
僕の説得は、やがて罵倒に変化し、僕の口からは彼に対する罵詈雑言が次々と飛び出していった。
彼は何か言い返そうとしたが、何も言わず、一瞬だけ悲しそうな顔をして、僕の部屋から出ていった。そのころにはすっかり酔いもさめていたが、僕は追わなかった。
アンドロイドは、所詮、人間の形をしただけの野蛮なイミテーションだったということだろうか? いや、そう考えてしまっては他の良心的なアンドロイドに悪いだろう。
やはり、彼は異端者だったのだ。僕は失望した。そして、一瞬でもあんなヤツを友達だと思ってしまった自分を恥じた。
そして、彼は二度と僕の前に現われることはなかった。