以前、画家をやっている知り合いから、貸したビデオ(惑星ピスタチオの「破壊ランナー」)を返してもらう際に「知り合いの参加してる劇団でも、同じ芝居をやったことがあるらしい」という話を聞いたことがあった。その劇団が、「劇舎“團”」(現「うわの空・藤志郎一座」)だと知ったのは、ずっと後になってからである。
うわの空の芝居を観るのは、この「ジャズお父さん2」で2回目なのだが、思った以上に面白く、劇団主宰(兼、作・演出)の方のセンスを感じた。テーマはタイトルどおり、「ジャズ」と「お父さん」。クリスマス、山中湖畔のペンションにかつてのジャズバンド仲間たちが集まって起きるささいな日常。シンプルな内容とテンポの良い(?)ギャグは、しかし一部マニアックで自分好み。
内容とは全く関係ないが、役者が楽器の生演奏をできるのは凄い。別に楽器ができるから役者としてすぐれているというわけではないし、演奏していた役者さんたちの腕前がどれ程のものかまではわからなかったのだが、やはりカッコイイと感じてしまった。
あと、立川流の落語家さんたちや、新日本プロレスの野上彰氏が、何故か役者として参加してたりする。どうにも、あなどれない劇団であることが判明。今後に注目。
平和堂ミラノ脚本による静かなピスタチオ。とはいっても、いつもの耽美派シリーズとは、また違った雰囲気である。内容は、「とある少年が父方の田舎で過ごした静かな夏」を描いたもの。単純に感想をいうなら、面白かった。
何よりすごいのは、登場人物に割り当てられる役者が決まっていない、ということ。いつものピスタチオなら、同じ役者が何役もこなすことがあるのだが、まさにその逆。シーンごとに主人公の少年役や、ヒロインの少女役の役者が変わったりする。2人の人物が会話しているシーンで、自然と役が互いに入れ替わる、なんてシーンもある。
つまり、登場人物にとってみれば、役者さえも記号にすぎない、ということである。よく、登場人物を役者のイメージに合わせて脚本を書く「あて書き」という手法があるが、それを完全に意味のないものにしてしまう。
だからといって、「少年」や「老婆」といった役を誰が演じても一緒かというと、そうではなく、役者ごとに少年像や老婆像というのがあって、役者が違えば「少年」の役づくりもそれぞれ違う。なのに違和感がない。ちょっと、不思議な感覚だった。
今までのピスタチオにはない感じの舞台。いいもの見させてもらった、と思う。
ファントマの東京での公演は、年に1回くらいのペースなので、「犯罪心理」以来の東京公演ということになる(なので、関西で毎回観ている方とは、劇団に対する認識が違うかもしれない)。久しぶりのファントマは、古参のメンバーをのぞいてかなりメンバーの入れ替えがあったようで、初めて見た役者も多かった。
メンバーの入れ替わりがあったといっても、脚本・演出などは変わらないので、全編をつらぬくハードボイルドぶりは健在だ。今回はタイトルからもわかるとおり、バリバリの西部劇。どこか時代劇にも通じる世界観が、伊藤えん魔のハードボイルド脚本とマッチしていて、個人的に納得のいく話であったと思う。早撃ちを話の主軸にすえた、西部劇らしい西部劇ができあがっていた。
ちょっと演技的にツラめな役者がいたのが気になったが、伊藤えん魔は面白いし、美津乃あわは格好良く、西村恵一も楽しい。安心して楽しむことができた。
主役ビリィ・ザ・キッドを演じていた浅野彰一という人(初めて見たのだが、新人の方なのだろうか?)はここぞというシーンでは格好良く決めてくれるのだが、舌たらずなのか要所要所で台詞がツラいシーンがあったのが、少々、気になった。おしい。
音響だとか演出や笑いだとか、好きなところはたくさんあるのだが、ここで述べても仕方がないし伝わらないので割愛。ファントマは、小劇場レベルでエンタテイメントに撤することのできる数少ない劇団のひとつだと思うのだが、いかんせん関東では知名度がない。残念なことである。
実は、かなり期待していた。チラシに「今回のテーマはズバリ『ドリフ』です」とあったからだ。ここでいうドリフとは、「もちろん『大爆笑』ではなく『全員集合』」のことである。
ちょうど、そのころ『ドリフ=歌舞伎』なんじゃないか、という仮説を頭の中でもてあそんで楽しんでいたので、じんの版『ドリフ』、YAHOO版『全員集合』の宝島探険をなんとしても観てみたかった。
しかし、実際に観てみると、期待とは違った劇だということがわかった(ちょっと、がっかり…)。
航空事故にあい何とか無人島へ漂着した15人の男女のディスカッションをメインに物語が進行する。いや、むしろそのやりとりこそがメインで、ストーリーや舞台設定は枝葉にすぎない。
「無人島に永住することになるなら、日本での価値観にとらわれていないほうがいい」と主張するグループと、「それはどういう意味なのか」と問うグループの話し合いによって、自分たちが何を基準に生きているのかが浮き彫りになっていく…ような気がしてくるところが楽しい。話し合ってる当人たちも、「言っていることはわかるが、お互いに説得力に欠ける」意見を述べていくので、会議が平行線になっているのがまた楽しい。
考えてみたら前回の「努力しないで出世する方法」でも、方法論の違う複数のグループを絡ませることによって舞台を進行させていた。「じんの脚本ってそういう傾向なの?」と思った。自問自答脚本。
今回は下北沢ザ・スズナリでの上演だったが、このユニットの小屋としては、もう小さい気がした。「当日券では、ひょっとしたら入れないかも」なんて、僕のような「当日、急に思い立って芝居を観にいく者」にとってシャレにならない。
いのうえ歌舞伎「スサノオ・サーガ」の第三弾。
タイトルからもわかるように、日本神話をベースにしたヒロイックファンタジーとでもいうべき内容である(神話はあくまでベースであって、そのものではない)。今回はスサノオ伝説ではなく、ヤマトタケル伝説のテイストを抽出した作品。
ついつい比べてしまうのだが、残念なことに、前回のいのうえ歌舞伎「髑髏城の七人」を観たときほどのインパクトはなかったように思う。
理由は幾つかあげられるが、たけうちの中では、題材を近世にするか古代にするかの差だというのが、いちばん大きい。古代は近世に比べて色気がない(色気は生活臭ともいう。もちろん偏見なのだけれど)からだ。
オープニングにガツンとかまさなかったのも理由のひとつかも。
とはいうものの、たけうちの設定した基準点を大きく凌駕した作品である、ということは、まあ、いうまでもないだろう。「迫力」、「笑い」ともに充分にあった。これで「泣かせ」や「意外性」もあれば、完璧だったのだけど…。
いのうえ歌舞伎というものを、これで2回観たことになる。これによって、新感線は「芸能」という言葉を実践できている劇団だと思うに至った。
これぞ芸能、これぞ歌舞伎。褒めすぎだろうか?
ネビュラプロジェクトのプロデュースによる「TEAM発砲B・ZIN」と「ランニングシアターダッシュ」の夢の共演。脚本は「ダッシュ」の大塚雅史。役者は「発砲」から5人、「ダッシュ」から3人、そして客演として「キャラメルボックス」から2人。
「発砲」のハチャメチャさと「ダッシュ」のノリで、どんな感じになるんだろう…とはいったものの期待したほどではなく(期待しすぎかも)、脚本は、わりと無難な内容におさまっていた。悪くもないが、とびぬけて良いというほどでもなかった。
ステージの四方を客席で囲むという、特殊な舞台で上演。演出などで、そういった舞台ならではの工夫がなされていて感心した。が、でも四方向どこから観てもいい芝居、というのはやはり難しい。冒険した割には、あまり効果のない舞台構成だったと思う。照明の効果は好き。
途中、物語を中断して客席のライトをつけ、手持ちの紙(しかも手書き)による建物の位置関係の解説が始まるのだが、これには笑った。何というか、手法として(?)斬新である。
「キャラメルボックス」から大森美紀子と前田綾が客演していたが、「キャラメル」の役者がいると、舞台がキャラメルっぽく見えてしまうのが少々の難。
「発砲」と「ダッシュ」の組合せは面白そうなので、今後も勝手に期待。今度はきだつよし脚本の作品でやってほしいなと思う。
スカイシアタープロジェクトの旗揚げ公演。手前ミソにならないように、ここでは一観客としての感想を述べることにする。
全体的な力量不足な点というかツメの甘さは否めないが、全体としてバランスのとれたオーソドックスな舞台に仕上がっていたと思う。脚本は、一見、使い古された感動と使い古された言葉とを使い回しているかのように見えるかも知れないが、その実、奥は深い。また、登場人物などのネーミングセンスは個人的には好き。
演出はさすが内木田ゆうきといったところか。脚本家の「言いたい事」にとらわれることなく、エンタテイメントに徹している姿勢が好ましい。
迫力で押し切り、笑いをキチンと取り、涙を誘い、しめるべきところでしめる。いい劇を見た、とマジで思う。今後が期待。
'98年のイッパツ目は、「発砲・B・ZIN」の「ゴメンバー」を見てきた。今年はのっけからアツい…。
本多劇場で戦隊ヒーローショウ(テレビ番組としての「ヒーローもの」ではなく、あくまで遊園地などでやってるアレ)をやってしまおう、というあたりからしてすごいが、ホントに良くできていたのは脚本。とても面白かったし、納得できた。
内容は、いわゆる「戦隊ヒーローもの」に対するアンチテーゼのようにもとれる。変身できないヒーローは、変身しないヒーローに変身する。それは当然の選択だろう。
テーマソングなどは、すでに「発砲」の味として定着してるのだろうから「良い」と言う以外にないが、ギャグのキレ味はもう一つ。もっと面白くなるんじゃないの(こんな良い舞台が作れる人なら)、と思った。それでもある程度の笑いはとれるんだけどね。