後輩がこの芝居の楽日の前夜に電話してきて「面白いから、是非、観にいけ」と言ってきた。そういった情報を「忙しいから」という理由でフイにしてしまうほど野暮じゃないので、観にいくことにした。
とりあえず、劇場がせまい、というか観客が劇場のキャパを明らかに超えている。劇団には相応の規模の劇場が必要だということを痛感。
内容だが、個人的には満足した。手法の全く違う劇団が、稽古場をブッキングしておこるちょっとした事件の構図がとても面白かった。でも、「演劇を観る人(もしくは、やる人)」むけ。
「(劇を観にくる人)>(劇を観る人)>(劇をやる人)」
なので、すべての観客につたわりきれるかは疑問。惑星ピスタチオ(的な劇団) VS キャラメルボックス(的な劇団)といった構図に見えれば、かなり笑えるハズ。台詞の端々に隠された皮肉を見逃さなければ、かなり面白い劇だといえる。
すべての役者の、劇をやっていて「オレ、何やってんだろ」と感じる瞬間を逃すことなくコケにしている。そんな感じのする劇であった。
常々、新感線の芝居を観にいきたいと思っていたのだが、ことごとくそのチャンスを逃していたので、一念発起して当日券で観にいくことにしたのだが、行って大正解。最初から最後まで、だれることなく飽きることなく観ることができた。あまりに面白くて、打ちのめされた気分で家に帰るハメになった。
初・新感線がこの作品で良かったと思う。いのうえ歌舞伎、侮れない。
なんていうか、古田新太が死ぬほどカッコ良すぎ。その一言につきる。もう、惚れたとしか言いようがない。
1997年たけうちエンタテイメント大賞。
初めての生で観る野田地図ということで、実はかなり期待して観にいった。
役者の演技は最高で、劇場も舞台装置もすごい。音響も演出も素晴らしかった。なのにとてもとても退屈だった。このとき、「ほかがどんなに素晴らしくても、脚本が駄目だと舞台は全然ダメなんだなぁ」とあらためて実感するにいたった。
いたずらに諾々とくり返される言葉遊びには、流れもなければ膨らみもない。申し訳程度に入っている笑うところ(?)らしきものにも評価すべき点はない。シーン毎の迫力がすごいだけに、ひたすら勿体ないの一言につきる。それとも、僕に理解力がないだけのことなのだろうか? 溢れでる言葉の絹糸は、一枚のシルクになることもなく、朽ちて果てた。
隣の席で寝ている人が、やたらと印象的な舞台だった。
「熱闘!!飛龍小学校」という作品の改訂再演。まずはチラシで大笑い。人物設定などがたまらなく自分好みな、小学校を舞台にした冒険超大作。
前作「Believe」でも感じたことだが、舞台がとても映像的。良くも悪くも映画的。観客が洋画の超娯楽大作などに馴れ親しんでいなければ舞台上に、情景を再構築できないような感じである。逆に「観る側としての映画的手法」さえ理解していれば、舞台の上にさまざまな「ありもしないもの」が見えてくるから凄い。
前作同様、保村大和はカッコイイし、佐々木蔵之介には圧倒される。腹筋善之介の演じる二役が、やがて出会って対決することになるという過程は物凄い(関係ないが、二役は演劇的トリックとして応用が利くなと思った)。
とにかく楽しませてもらった。
毎回、いろいろと考えさせられるテーマの脚本が魅力的な3A。
今回は、タイトルにもあるように人間の「劣情」をテーマにした劇だった。深読みかもしれないが、台詞の一つ一つに脚本家の人生の重みを感じるような気がする。「自分には、まだこんな台詞は書けないなぁ」と思いながら観ていた。
幕末が舞台なので、坂本竜馬なども登場するのだが、それはあくまで物語の枠組みにすぎず、背景に撤しているところがいい。ならば、むしろ舞台となる時代をかえた方が良かったかのような気もしてくるが、それでは面白くなかったかも、とも思う。
あと、小さな音を常に響かせることで沈黙を表現するような音の使い方も、個人的に好き。
「これっきりハイテンションシアター」という劇団があれ以来どうなったのか全くわからなかった僕に、後輩からの急な情報が入り、この公演を知る。
ハードボイルド探偵劇、という言葉がまさにピッタリくる舞台だった。前日に観た劇場版「かまいたちの夜」が舞台としてもミステリとしても期待外れだった分、充分に楽しませてもらった。とくに大きな仕掛けもなく、純粋にハードボイルドなストーリーを堪能することができたように思う。笑いのツボもかなり自分にフィット。満腹です。
古田新太、つみきみほ、手塚とおるによる「トランス」。この劇を観る以前に、小劇場で何度か「トランス」の上演を観たことがあったし、戯曲も読んだことがあったので、観にいくにあたって劇としての新鮮さなんかは、さほど期待していなかった。
ただ、この作品を書いた鴻上尚史が自ら演出するということで、お手並み拝見という程度の心構えで観にいったのだが、実際観てみてあらビックリ。死ぬほど面白かった。得した気分になった。
今まで、それほど気に留めてなかった古田新太が、実は目茶苦茶カッコエエということに気付いたのもこのとき。
衛星放送での「破壊ランナー」に惚れて以来、2作目(最初に観たのは「満月の都」)に観たピスタチオ作品である。
空前絶後の登場人物数と荒唐無稽のストーリーが売りの作品。脱走者の身の主人公は、途中途中でさまざまな事件に遭遇するが、どの事件の結末を迎えることもなく、次の場所へ逃げなければならない。そして観客もまた、主人公の結末を観ることができないという皮肉めいたコンセプトの作品だった。最初はテーマを勘違いしていて、全く「逆」の結末があるものだと想定していたため、これには面食らった。
もちろんピスタチオ得意のパワーマイムも健在で、何もないのに舞台上に宇宙船が見えるような気がしてくるのが不思議。個人的にはコンピュータ検索のシーンのマイムが好き。それはそうと、ピスタチオによくある「世代を限定したギャグ」には少々ギモン。でも、俺が笑えるんだからいいか、とも思う。
まだ、演劇という世界にそれほどドップリとつかっていなかった頃に観た芝居。何の予備知識も何もなかったため、「これがキャラメルボックスか」と印象づけられた作品になる。キャラメルボックスの作品のなかでも、アコースティックシアターという分類になるのだが、アコースティックシアターこそが僕にとっての「キャラメルボックス感」のスタンダードになってしまったといってしまって、さしつかえない。
劇中で使用されたスパイラルライフの曲も良かったし、物語にすなおに感動できた。
「SFハードボイルド時代劇」というコピーとわけのわからないタイトルに惹かれて、つい観にいってしまった作品。伊藤えん魔ワールドにまんまと呑み込まれてしまい、演劇とは、かくもアツいものだったのかと勝手に感動した。
このとき個人的に気に入ったのが、服部半蔵役の首藤健祐とお銀役のキューピー鈴木の2人。この劇を観て「これっきりハイテンションシアター」という劇団が妙に気に入ってしまったのだが、文字通りこれっきりだった(とはいっても、翌年に「ファントマ」として再結成するが…)。